2011年11月23日水曜日

生まれてからの自分の記憶の中でも一番最初の方にあるできごと。

家はしつけが厳しい(と、子供心に思ってた)方で、おやつは買い与えられたもの以外、小遣いをもらって駄菓子屋で自分で選ぶということが(ほとんど)できなかった。なので、近所の子供たちが駄菓子屋に行く時も後ろから指をしゃぶって見ているだけだった。

なんとか自分で駄菓子屋ショッピングしたい。特に、袋を開けると「くじ」が入っているものは、当たるともう一個だったり別のおまけがあったりと、後ろから見てるとうらやましい限りだった。

そこで、ある日、親の目を盗んで悪事の決行に及ぶわけであるが、ま、ばれたときどうなるなんてことは一つも考えてなかった。

タンスのどこに小銭が入っているかなんてことは、誰でも知っている。目的の「袋入り甘納豆(くじ付き)」は 5円だが、あいにく手にしたのは 10円玉。ま、いいか。誰にも見られていないのを確認して、駄菓子屋へ直行。

最初の甘納豆。なんと、「あたり」である。開けた袋を握りしめ、中身を食べもせず、次の袋を選ぶと、続けて「あたり」。なんと、あたりが連続で 4回か5回あったように思う。(後で記憶を美化してるかもしれないが、、、)

それでも、「はずれ」はいつかやってくる。4,5個の袋を手にして、残りの 5円で次の「くじ」に挑戦。あえなく「はずれ」。

計画(?)では甘納豆の袋1個が戦利品のはずだったのが、4,5個をかかえることになって駄菓子屋を出ると、親の目に隠しようもない。さっと逃げたつもりが直ぐに捕まって、大金を盗んだと誤解されてしまう。なんとか「くじ」に当たったとは説明できたのかできなかったのか、ギャンブルの戦利品一式は兄弟や近所の子供たちと分け合うことになってしまった。

それからである。商店街の福引きとかおまけの三角くじとか、ほとんどくじ引きに当たったことは無い。麻雀は弱いし、ポーカーみたいな「はったり」ありだったりすると最悪。思い返してみるに、私の一生の「くじ運」はあの時使い切ってしまったのだ。ま、そう思ってなぐさめることにしている。

100億もの金をつぎ込んで逮捕された社長さんも、もう少し冷静に考えてみれば、自分のギャンブル運を使い切っていることに気がついていてもよかったんだろうね。それと、高校数学でやる「確率・統計」だけど、せっかく「期待値」の勉強をするんだから、ギャンブルは親をやって「寺銭」かせがないと、やればやるだけ損するってことを、ちゃんと勉強しないと。「カジノで町おこし」だの「カジノ特区」だの言う連中は、ただの偽善者でしかないと思うよ。そんなにまで「お寺やさん」の仲間に入りたいのだろうか?その先には「や」な連中もいるわけなんだがねー。

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