2010年12月31日金曜日

でじたるその後

ケーブルTVの STB だけを交換して地デジ移行完了だったのが、この日曜日にブラウン管テレビがご臨終を迎えてしまった。
翌日、妻が嬉々として薄型液晶テレビを購入したのは言うまでもない。
(昨日、弟家族が見舞いに来て、「これ、アナログ?」と突っ込まれてしまったのだ。ということで遅ればせながら報告)

2010年12月24日金曜日

入院4回目決定、ただし

入院日は 1月4日。
これが、最後の「家で過ごす正月」となるか?
===
CT所見(前回11/30)
(1) 上前縦隔の胸膜、心膜に浸潤するようなLKと縦隔リンパ節Metaに僅かな増大有りでしょうか。
多発する左 Major fissure への Meta/Seeding や右 S1 の Meta にも少し増大が。
右 Major fissure 上部にも小 Meta 有りそうです。
少量左胸水。
(2) 副腎腫大なく肝内 SOL 有りません。
胆膵脾、両腎に異常有りません。
===
癌そのものからは、緊急に次の治療に移るというほどではない(1,2ヶ月の余裕はある)が、痛みが増えている事、不整脈が出てる事から、入院して次の治療を考えるということになりました。
不整脈と昨日の激痛が無ければ、その余裕を有効に使う方が良かったのだが、そういう体調だし、カミサンが横で見張ってたし。。。

2010年12月23日木曜日

だめか

朝から肩が痛かった。
4:30 にオキノーム。
5:30 全然効いてない感じ。
7:00 オキシコンチン
7:30頃 ロキソニン
8:30 過ぎて少しやわらぐ
10:30 激痛 オキノーム第2弾。このとき貧血気味。サンリズムを飲む。冷や汗。
11:30 痛みが引いてくる。肩の痛みは肺というよりは心臓から来てたのか?
13:30 昼食2/3くらい。ロキソニン。サンリズム。
ベッドで体を起こしたまま休む。今は痛みは消えている。
この調子では復職はしない方が無難のようだ。明日は診察。
しかし、気分が痛みによって左右されてるのがよくわかる。痛い=悲観。痛み無し=楽観。
我ながら、しゃくにさわることだ。

2010年12月22日水曜日

ぶろぐ

肺がんについていろいろ勉強のためググっていたが、「肺がん+ブログ」というのを試していなかった。で、みつけたのが、これ
「病気ブログ村」って、同じようなことをやる人は多いと思ったが、ムラを作っていたとは。
しかも、開いてみると「ランキング」のボタンまである。いや、それぞれのブログにこれが無いとランク付けられないわけだが。うん、「応援してください」とか、えらい。
もう既にお亡くなりになって、終末の経過を奥さんが書き込んでいるのもあるが、ダイビングしてたりとか、スキーの準備とか、みんな元気じゃないですか。いや、そういう緩和(治)療法をしていることは承知ですが。なんか、自分が閉じこもっているのがバカみたい。
もちっと、動いて、その分痛みが増えちゃったら、薬を増やしてもらえばいいんじゃない?
違うんかなぁ?

2010年12月19日日曜日

ぽち

FMが聞けるからという理由で iPod nano を衝動に任せて買ってしまったので、そこに入れる音楽も欲しくなる。少しずつ買い足して、今これだけ。いくら使ったか計算してない。基本的に Bach のみ。
オンラインショップで購入する事を「ぽち」というらしい。「ぽちっちゃいました」とか。
あ、こんなこと書いてたらまた衝動が。。。

2010年12月18日土曜日

閃輝暗点

こういうことか。2回目かな。前回もググってここにたどりついた。忘れてたよ。
CTもMRIもやってるし。次の診察のときにでも言っておくか。がんに比べりゃ大きな事ではないが、脳梗塞で倒れるつーのもかっこ良くないし。てーか、既に循環器科にはかかってるんですけどね。

こくち

がんの告知ということについて考える事。
昔は、がんと知る事で自暴自棄になったりするのではなかろうかということで、告知しないことが多かった。(今でも、そうなのかな?)家族にだけ伝えて、周りが腫れ物を触るように対応する。が、検査項目とか、ふとしたはずみの失言で患者が知ってしまう。だいたいは、患者もそうなのかと周囲に合わせてあげる。
今は、患者本人は医師から告知を受けて知っている。自分のがんについて検査結果も含めてどのような状態にあるか理解している。ところが、その自分のがんを周囲に告げると、それぞれのがんに関する知識でもって理解しようとする。中にはいろいろアドバイスをしてくる人もいる。たいがいは、自分のケースにあてはまらない。自分の体を気遣ってアドバイスしてくれてるので、つっけんどんにはねつけるわけにもいかない。
そんなわけで、自分のがんを他人には告げないという選択もある。大沢親分なんかはそうだったようだ。体調不良で番組を休んでから2,3週間で死をむかえている。番組の中で「おれはがんだからね」と啖呵を切ったりしたら、大騒ぎになっていただろう。
さて、自分としては告知する方を選んだわけだが、どうなるだろう?ひとつの社会実験?
がんにもいろいろあること、患者の立場を考えて欲しい事などのきっかけになる?あんまりなりそうにない気もする。だって、ついこの前までは、何も考えない人だったんだし。

2010年12月13日月曜日

むかし

還暦記念というわけで、昔の自分の写真。母、祖母、長兄、次兄と自分。自分の初孫とどっちがかわいいかな?
なんてね。

ちゃんちゃんこ

赤いちゃんちゃんこのブローチ。
そーか、こういう手があったのか。
妻に感謝。

2010年12月12日日曜日

かんれき

あしたなんだけどね。お祝いを頂いちゃいましたよ。娘から。WATERMAN のボールペンでした。ありがとう。

2010年12月11日土曜日

くすり

飲んでる薬まとめ
  • ロキソニン錠60mg 毎食後1錠
  • オメプラール錠10 朝食後2錠
  • ペンタサ500mg 朝夕食後2錠
  • アムロジピシンOD錠5mg 朝食後1錠
  • テノーミン錠25 朝食後1錠
  • プロブレス錠8 ねる前1錠
  • オキシコンチン5mg 1日2回
  • オキノーム散0.5%(1回0.5g)痛む時
  • マグミット錠500mg 便秘の時
  • サンリズムカプセル 50mg 不整脈発作時
いっぱいやなぁ。

2010年12月7日火曜日

ふとん

すっごーい久しぶりにふとんを新調した。
病院のわりと固いベッドと、スプリングの効いたベッド+古いふとんの寝心地を比べると、家のベッドの方がいいのだが、実は朝起きたときの体の痛みは病院の方が少なかった。
新しいふとんだと、前よりふんわかになってしまうので、朝の痛みを心配したのだが、それほどでもなかった。
だから、今朝はオキノームを飲んでいない。
ま、もうちょっと様子を見るが、もしかして肺がんは古いふとんのせいだったりして。

2010年12月5日日曜日

のむ^2

最初は、痛みのスケール5段階で3になったらオキノームという話だったが(そう理解していたが)、0に持って行く事が目標らしいので、2程度でも遠慮せずに飲んでいいのだろう。
と、解釈。
以前は起床から7時までのロキソニンが切れる時間帯に、軽く食べてロキソニンを飲んだりしたが、もういいやってことで、今朝も飲む。
痛みに関しては抗がん剤治療を始める前に戻って来つつある。

2010年12月4日土曜日

のむ

オキノーム。けど、鎮痛剤が効いて来てるはずの 8:15 に飲むとは。
痛みがきつければ悲観的になる。痛みが和らげば楽観的でなくても前向きになる。
前向きになった重症患者につきあうのも大変な事だろう。子規の周囲の人たちにご苦労様と言いたい。
子規をまねてみるのも一興。まねると言わずとも大変と察すれば、そこまではできない。

2010年12月1日水曜日

xkcd

前向きになること
forum のこの発言のとおりだと思う。
あちらでも事情は同じなのだと思うと同時に、あちらもこちらも地球上では恵まれた贅沢な悩みだということも覚えておこう。

2010年11月30日火曜日

終了

とりあえず、今回の抗がん剤治療は終了。
4クールの予定が3クールの1まで。
だいぶがんが残っているので、また抗がん剤の効果が切れて増えて来たら、その時点で次の手を考える。
それまでは、鎮痛剤と麻薬が頼りの日々というわけだ。
だんだん、正岡子規っぽくなってきたぞ。いや、まだ寝たきりではないから、そうとも言えないが。
 そうそう、今朝は久しぶりでオキノーム飲んだし。

2010年11月26日金曜日

ぶるんじ

kyo-musu.bi って、ブルンジ ではないか。
よーこんな TLD を見つけてくるもんじゃ。

ちなみに、世界銀行によればブルンジの1人あたりGNIは150ドル(2009年)で世界最下位だそうで、ドメイン料いくらなんだろ?ブルンジ国民には手のでないお値段なんだろうな。

2010年11月25日木曜日

でじたる

地デジに変えなきゃ、液晶TVがいいよね。ていうけど、この2つは独立事象なのです。
で、うちはケーブルTVなので、とりあえずテレビの上の箱を取り替えて、地デジ対応完了。
てゆーか、ケーブルTVの局でアナログに変換して、今まで通りのチャンネルに流してくれてもいいと思うんだけどね。
旧タイプのワイド画面なので、今まで両端が太るモードで見てたのが、やや細身に写るモードになりました。ま、今までも歪み付きで見てたんだから我慢してください。

2010年11月21日日曜日

のみわすれ

オキシコンチン 昨晩 7時の分、飲み忘れ。の、せいか肩の痛みが少し。寝る前 9時には気がついたのだけれど、どうなるか実験。

しかし、心房細動なんて余計な持病を抱えてしまったものだ。というか、もともとあったんだろうな。多分、前回出たのは 2001年頃。50代くらいから出てくるというのだが、そもそも高血圧なので、知らずに気をつけていたところもある。何を気をつけていたかと言うと、入浴時の温度を低めにとか、一般的な高血圧対策。前回というのも温泉で熱い湯に長く入ってたと言う話。今回はヒートテックの下着を着けて寝てのぼせたと言う感じ。昨晩は寒さがゆるんで、日中に干した布団が暖かくて、お、という感じ。パジャマをはだけたり脱いだり、サンリズムのありかを確認したり。

そいえば、入院で点滴から投薬のとき、「あ、細動がとれましたね」とか言われてキョトンとしている私に「そっか、自覚症状がないんだ」と言ってたが、普通は痛みがあるものらしい。痛みを感じなかったのは鎮痛剤のせいかも。痛みが無ければ大した事無いと勘違いする。いいんだか悪いんだか。

2010年11月19日金曜日

いまここ

「入退院を」 <- いまここ

この後、「繰り返していましたが、、、」と、続く。

いや、「繰り」ぐらいかな?入退院3回目終了。

2010年11月16日火曜日

不整脈

なんで今頃。ということで再入院。
大学院の時、健康診断で「不整脈と言われた事ありますか?」「えっ?」「気のせいかな?」と言われたのが「不整脈と言われた、最初」
10年に1回くらい、貧血で目の前が真っ暗になってへたりこんだりしたが、あれも不整脈だったのか。
自分的には「貧血」。脈をみた看護師的には「不整脈」。循環器の先生的には「心房細動」ということ。
というわけで、心電図のテレメータ取りながら入院中。
いや、さきほどまで24時間の点滴中だったりもしたが。

2010年11月13日土曜日

すきん

頭が薄くなってきたけど、髪は構わず暴れて鬱陶しいので、思い切ってカットした。
写真を入れようと思ったけど、なぜか入らない。

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今頃になって入った。(11/19)

2010年11月10日水曜日

3

3クール目第1日。
体重着衣で60kg。お、太って来た。食欲もあるし、ベルトも穴がずれたしな。
WBC 4900。お、2クール目の初日よりいいぞ。体温 36.9 ℃。ん?風邪っぽい?それで、増えてるんだったりして。ま、脊髄が働いてるってことだろうけど。
副作用予防 100ml 30分-> パクリタキセル 250ml 60分 -> カルボプラチン 250ml 60分。
なんだかんだと 3時間。
よく寝た(笑)。(あ、ゴッとか言ったな。いびき。何度も)
トイレは3回。カルボプラチンが終わって、ビタメジンの残りだけになったとき、トイレに行きたかったが、検温/酸素/血圧計測になってしまった。血圧高めに出た。Pが溜まってたせいかも。(つーか、ストレスなんだよね)

2010年11月5日金曜日

CT


上が8月下が今日11月5日の造影CT画像。がんが小さくなってます。ということで、抗がん剤治療を継続。但し、白血球への副作用が大きいので、少し減量して。本日のWBCは3120に回復。

2010年11月3日水曜日

もう

もう11月だ。寒くなって来た。寒くなると足のかさかさ、かゆかゆが出てくる。
え?抗がん剤の副作用?
そうではないと言い切れない。混乱中。

2010年10月27日水曜日

すきっぷ

本日は、2−3を予定したところ、血液検査にて WBC 1880 。
治療の基準値 2000 を下回ったと言う事で、今回はスキップ。
要は、薬が効きすぎてるってことのようで、X線の写真も比較してみせてもらい、影が薄くなっている事を確認。
次回 11/5 に血管造影X線CTの結果も見ながら3クール目の計画をたてるとのこと。予約が 11/5 で途切れている。
WBC(白血球)をグラフで観賞。1クール目は 9/15 の開始前から週毎に 4370→3670→3130→3030 と変化。2クール目は 4460→3120→1880。
先週 3120 と聞いた時点で「前回より落ちるのが激しいね」とは思ったのだが。
入院中の隣の人は1クール目の3回目をスキップして退院して行ったから、ま、よくあることなんでしょう。

2010年10月25日月曜日

CD

CDを頂いた。ヒーリングな音楽が嬉しいプレゼントです。アイルランドのメロディーは、母親のバイオリンでの「庭の千草」とか、自分でもギターで手を出しかけてたような気が。
(グリーンスリーブスは、似たような旋律でもアイルランドじゃなかったか。エリザベス朝の頃、イングランドとスコットランドの国境付近の地域で生まれたといわれている。だから、ケルトが混じってるのは間違いなさそうだ)
ケルトと言えば、ガリア。ガリアと言えばカエサルの「ガリア戦記」。民族としての歴史の長さを感じますね。 ゲルマン人(ドイツ人)に追われて、ローマ人に同化されて、行き着いた先がここなんですね。

2010年10月21日木曜日

あなろぐ

あたりを片付けて、プレーヤを使えるようにした。パイオニアのレコードプレーヤ(PL-1250 大学院の時に買った)にSHUREのM44-7を付けた。もう手に入らなくなるだろうと思って、だいぶ前に秋葉原で買ったのだが、どっこいアマゾンでも売っている。スクラッチDJ御用達なのだそうな。
シェルはオーディオテクニカ。
奥に立ってるのは Grace F-8 針が無くて飾り。
イコライザーをどこかで買って来て、ラジカセに繋いで聞いている。
所有LPは7,80枚程度だと思ったが、保存状態はあまりよくない。スクラッチノイズも出る、針は飛ぶ。メガネ屋でもらったクリーナーを使って拭いてみたらちょっとよくなったかも。
MCカートリッジとかうらやましかったけど、結局縁が無かったな。基本的にケチなんだよな、オレ。

2-2

2クール目の2週目。
抗がん剤はパクリタキセルのみ。入院中の点滴は同室者が肺がん患者ばかりだったから、薬のパターンがだいたい決まっていた。長いコースと短いコース。長いコースは順調に行って朝9時から夜10時まで、時々12時までかかっている人もいた。
外来の化学療法室はいろんながんの患者なので、抗がん剤のパターンも様々、早い人は1時間くらいでさっさと終わっている。
自分のは肺がんでも短いコースなのだが、なぜか他の人より長い。ビタメジンの入った 250mlブドウ糖が 100mL/h で流れている。んー、それだと2時間半なんですけど。30分の吐き気止め、60分のパクリタキセルで、1時間半で抗がん剤の方は終わるので、病棟で点滴してたときは最後はビタメジンの速度を上げて早く終わるようにしてくれてたのになー
9時に病院へ行っても、主治医に診てもらわないと点滴が始まらないので、開始は10時半。(次回はもう少しゆっくり行こう。)で、ビタメジン律速で1時をまわってましたね。
別にお急ぎの用事とか無いんですが、腹も減ってくるし、次回はせかしてみようかな。

2010年10月15日金曜日

くーる

10月13日、2クールめに入ったのだ。
多分だけど、このクールは cool じゃなくて、フランス語読みの course .
(父さんは平気な顔で間違いを知ったかぶりで言う、とよく言われるので、多分)
deuxième course とか言うのかな?、、、と一生懸命 ウィクショナリ で調べてたり。(性別が分からんかったりもするし)
 直前の血液検査。 WBC 4460 で免疫力は回復して来ていたが、CRP はやや up の 0.45.
それでか、痛みが戻って来たような。只今、オキノーム飲むかどうか迷い中。もうすぐ昼でロキソニン飲めるし、、、
#医者様には迷わず飲めと言われそうではあるが。

仕事には出てないけど、あちこちログインできるので、結構時間をつぶしている。いいのか悪いのか。

2010年10月13日水曜日

たとえ

たとえて言えば、
  • 天気が悪くなってるのに、行けるところまで行こうという登山者
  • メタボを注意されても、怪食の止まらない肥満者
  • せきが出てても、 「ぜんそくだろう」と診察を受けない自分
みたいなもんじゃないかな。
  • CO2が増加して温暖化の証拠もあがってるのに「対策はペテン」とか言う人たち
ま、対策のなかには、どうかな?ってのもあることはあるけどね。

#同窓会のMLでそういう話を持ち出すなよ。つーか、君は若い

2010年10月11日月曜日

南天

同じナンテンでも、これはオタフクナンテン。
葉が焼けている。今年の猛暑のせいだろうか。

散歩で信号が青のうちに渡りきろうとセッセと歩いたら、目の前がやや暗めに。危ない〜〜。
少しずつ体を慣らして行かないと。ってのはある種のリハビリなんだな。

2010年10月10日日曜日

2502

娘が、「お父さん、散歩いこうや」というので、職場あたりまで。数字は携帯に記録された帰宅時の歩数。
帽子、マスク姿で、どうみても不審者。これでサングラスかけてたら完璧。
なりゆきで研究室、学生研究室、サーバ室を目視点検。研究室で帽子2個ゲット。
娘が、PCとサーバの数に、「すげー、お父さんの大学リッチや」というが、これは商売道具だから。医大病院に CT とか置いてるのと一緒。 そう考えたら安いもの。
ゆっくり歩いたが、さすが疲れ気味。途中で水分補給を自分から言い出すのは、弱くなった証拠かも。

2010年10月8日金曜日

まだら

帰郷している娘に頼んで後ろから撮影してもらった。だいぶまだらに禿げてる感じがする。
床屋で丸刈りにしてもらってさっさと頭の輪郭を確定しようかとも思ったが、ま、そうあせることもあるまい。
家に帰って光接続なので、ついついあっちやこっちのサーバの点検に出かけてしまう。
そうこうしてると水分補給が少なくなってる気がするので、今日はポット持参で2Fの自室へ。

2010年10月7日木曜日

きり

この画像はフルサイズ表示できるんだろうか?ちまたでは、フルサイズと拡大と区別がつかない御仁が多いようではあるが。
さて、お題は「霧」。今朝はあちこちで盆地霧が出ているようだ。いや、低層雲であって霧ではないかもしれないが。四国では早明浦ダム、新宮ダム方面とか、京都は亀岡とか、朝鮮半島一帯の盆地とか。
おお、白頭山が冠雪しとるではないか。
今朝はしばし可視画像ウォッチングでした。

あ、申し遅れましたが、昨日退院して自宅でぶらぶら中です。

2010年10月5日火曜日

WBC

World Baseball Classic ではない。
White Blood Cell ... 白血球 3030
RBC 418, HT 34.9, Hb 12.1 ということで、めでたく退院基準をクリアーのようです。
(けど、この前となりのおんちゃんは WBC 3000 無いとかで 1クールの3回目をスキップして退院して行ったっけ。ということは別に退院基準でもない?)
CRP 0.32 H だが基準値は 0.3 以下なので、もうほぼ基準値になってる。痛みも弱くなったはずだ。

2010年10月4日月曜日

ころころ

自分で手ぐしで抜いていればコロコロの出番は無かったのだが、目覚めてみるとぱらぱらと髪が散っている。手でかき集めてもどうってことない程度の量だが、試してみるかということでコロコロ(粘着カーペットクリーナー)の封を開けて使用。
さすが、病院お勧めだけのことはある。
きれいに取れた。
これからはベッドに落としてコロコロだな。
ずいぶんと髪が薄くなったぜ。

2010年10月2日土曜日

でぃれい

平仮名で書くとなんのこっちゃわからんな。
外泊で帰宅。アナログな FM ラジオ と iPod nano を同時に聴いてみると、iPod の方が遅れて音が出てくる。やっぱりデジタルはディレイがあるのかと感心(でもないか)。地デジになって時報が流せなくなったのよ〜ん、という話があるがラジオでもそうか。
ディジタルだと時刻合わせができないのかというとそうでもなく、NTP なんてのはネットでのディレイをパケットの往復で測ってかなりいい線まで合わせてくれる。
昔、NTP でだいぶ遊んだけど人が作った規格の上であれこれデータ取っても論文にならんかったの〜。いや、研究の達人ならさっさと論文にまとめていたかもしれないけどなぁ。
ところで、この SONY のラジカセはアナログなんだよな。2000年の製品。タイマー切れにつき CD 回らず。テープ回らず。

2010年10月1日金曜日

脱毛

化学療法と放射線療法では避けられないという副作用。
やってきました私にも。まだ抜け始めなので、手ぐしで少しずつ抜けたぶんを始末している。
寝てる間に抜けたりするので、ベッドのお掃除に「コロコロ」を準備してと言われているが、初めての晩は特に問題無し。
コロコロとは
品名:粘着カーペットクリーナー
カーペットについた髪の毛・ペットの毛・糸くずはもちろん、ダニ花粉までらくらくキャッチ

似たようなものを、レコードクリーナーとして使ったことがあったっけ。粘着剤みたいのがレコードについて、よかったんだか悪かったんだか。

2010年9月30日木曜日

麻薬

阿片系の麻薬は、痛みに対して用いている間は依存は起らないと言われている。
普通は骨折とか非常に強い痛みに対する一時的な使用だし、あとは終末医療だから、きちんと医者が管理して使っていれば問題になることはないんだろう。第2次大戦とかベトナム戦争とか、傷病兵に対しての使用で依存が出ていたと言う話もあるが、まぁあれはアメリカのことだし(?)。
しかしである。昨日晩の看護師との話で、「いやー、7時前になると、薬が待ち遠しくなっちゃいますが、、、」と口走っている自分。
いや、もちろん痛みが少し強くなってくるって意味なんですよ。

これって依存?

2010年9月29日水曜日

ばろっく

少し夜が冷え気味の方が、夜中の P の回数が減って、よく眠れる。
よく寝て目が覚めたらぴったし 6:00。
朝はばろっくの時間。今日の解説は(あの)関根敏子さん。しかもギター/テオルボ。
いい朝だ。今日は点滴、がんばるぞ。(って、人生前向きになってきたんでしょうか?)

2010年9月28日火曜日

ぱっち

パソコンに向かってたら看護師さんに、「お仕事してますねー」
仕事というよりは趣味なのだが、、、
ま、入院前は好きなことやってても長続きせずに横になったりしてたから、痛みのコントロールがどれだけ大事かってことなんだろうな。
でもって、何の趣味をやってたかというと、こんなパッチ を作って submit していた。なんかこっちの世界の人からみたらパワー全開(復活)中に見えそうだな。

あさいち

朝一番 (7:00) で採血。
WBC 3130 で基準値 (3500-8500) を下回っているが、治療中は正常値の範囲ということで明日の点滴決行。
気がついたら、RBC (赤血球) HT (ヘマトクリット) Hb (ヘモグロビン) 軒並み L が付いてる。一人前に免疫機能低下中。
一方で治療前から1週間毎に CRP は少しずつ下がって来ている。以前 H が付いてるが。「リューマチでも高くなりますからね」と言われた時に「え?リューマチ?」と突っ込むべきだったんだろうな。頸椎症からくる炎症だろと勝手に納得してた。
追記:体重 54.9kg 風呂場で量ったら 57kg くらいあったのに。。。

以下、病室から見た秋の雲。こんな雲が出てるときは晴天は長続きしない。(らしい、、、が予報では明日も晴)

2010年9月27日月曜日

ベッド

例によって土日は自宅へ。
病院のベッド(パラマウント)に比べてクッションがいいのだが、背中の痛みには悪いような気がする。
抗がん剤の効きが点滴から時間が経過して弱まっているのかもしれないが。
んなんで、一時は塗り薬無用かと思ったが、やはり必要。朝食の7:40まで待てずに、朝6:00にビスケットをかじって(胃の働きを促しておいて)非オピオイドの鎮痛剤を服用。
ちなみに対角線の患者さんも手術後か痛みがあるようで、同じ頃ナースコール。看護師さんが、朝の薬を前倒しで飲んでみるか注射をするか聞いていた。

2010年9月25日土曜日

どようび

外泊で家に。
FM聞き放題。
なんか面白過ぎのミュージッシャン発見。(今頃と言われるかも)

2010年9月24日金曜日

UC

予定では、消化器科(+高血圧)の薬が切れる日なので、外来の診察室へ行って来た。
前回撮った胸部X線写真を初めてちらっと見た。普段は病室で回診があっても先生の端末付きじゃないのですぐには見られない。たってと要望すれば面談室にあるのだが。
消化器の先生「あ、なおってきてますね」
つまりは化学療法の効果が出て来ているってことで、肩の痛みもすこしずつ和らいで来てる感じ。
#タイトルは、消化器科で見てもらってる潰瘍性大腸炎

2010年9月23日木曜日

みまい

悪いと思うが、見舞い伺いは(親族以外)お断りとする。
病院の入院案内には面会時間が決められているのに、時間外でもホイホイと通されているが、、、
がん患者の治療中は免疫機能が低下している。面会者用の手消毒液が用意されているが、使っているように見えない。
こういうところに、「今日は下痢しよった」ゆうようなガキを連れて来ている。
ま、今の治療方針だと、外泊ホイホイ、通院治療も近いので、自己防衛しろってことなんだろうな。自己防衛しなくちゃ。

#こういう愚痴が出るってことは、治療がうまくいっていて、調子が回復してるってことなんだろうな。

2010年9月22日水曜日

てんてき2

治療開始8日目。抗がん剤の点滴 2回目。
普段は昼間あまり P出ないのに、点滴してると行きたくなって困る。2時間の点滴中 2回。終了間際に3回目行こうとして立ったら血液が逆流してあわてた。全部終了まで待つ。
合計してみたら 100+250+250 = 600 ml の水が体に入ったのだから、行きたくなるのも当然か。
とりあえずは、順調に経過。今回はぽたぽたのお話は聞こえず。前回は麻薬のせいかな、やっぱり。

りもこん

病院には個人別にテレビがある。と、言ってもテレビカードを買って見るわけだが。
一応、夜9時消灯以降はテレビはご遠慮くださいということになっている。
各ベッドはカーテンで区切られていてある程度プライバシーが確保されているが、薄いカーテンなので、消灯するとテレビ画面の光がちらちらしてそれなりにうるさい。
でもって、昨晩のお隣さんだが、テレビをつけたまま寝てしまい、そのまま9時の消灯時間。
こっちもすぐに寝なくちゃいけないような切迫した事情は無いし、別に大目に見てたっていいのだが、隣はいびきをかいているってのに、光がちらちら。なんとなく「邪魔やなー」と、思ってしまう。
カーテンの端の隙間から、自分のリモコンの狙いを定めて。

ぷちっ

成功!別に切迫した事情も無いのに、どうせ、夜はトイレで何回も起きるのにね。
(お隣さんの関係者、これ読んでないよね)

2010年9月21日火曜日

なの

というわけで、iPod nano を入手。
このサイズで、コイルもバリコンも無いだろうに、チューニングできるというのが不思議。nano 秒単位でディジタル的にディレイを作って、、、とかやってるんだろか。
FPGAとかあーゆうので、FMラジオが作れちゃうんだろうか?
おかげでテレビ視聴代金が少し節約できて、聴きながら本が読める環境になった。
目ざとい看護師さんには、早速受けてましたが。。。
血液検査の結果 WBC 3670 (正常値は 3500-8500 だから、ほぼ下限)ということで、明日は第2回の抗がん剤点滴決行。

2010年9月18日土曜日

どっち?

というわけで、便秘のピンチを脱したわけだが、抗がん剤の方の影響が下痢の方に効いてるっぽい。水のようなではないが、あまり形をなさないものが少しずつ出て来て、例の下痢のときの酸性刺激?があって出口が痛くなる。
あたしの今は便秘?それとも下痢?便秘薬はもらってるけど、下痢止めは必要?
てなぐあいにいろいろ混乱してくるのが薬の副作用。

2010年9月17日金曜日

座薬

便秘の薬が効いて来たのか、麻薬に打ち勝って便意を催すようになった。が、固い。
座薬を貰って、、、ところがシールを開けたとたん2つに折れてしまった。なんとか両方を突っ込んだつもりだったが、押さえていたティッシュをみたところやはり後の半分は失敗してたみたいだ。
10分から15分待てと言われたが、9分ぐらいでトイレへ。
格闘10分、約0.5食分くらいの固いのが出て、一旦退却。
次はゆっくりと思ったが、昼食を7割ぐらい食べたところで第2ラウンドへ。
以後、格闘ラウンドを数えることもできず3時ごろまで大半をトイレで過ごす。
問題は、そこに○ンコが詰まっている間は前立腺を圧迫してPが出ない事。
なんとかPまで解決に4時ごろまでかかる。
あー、しんどかった。

切れた

麻薬の作用
1. 前立腺
2. 便秘
2がきつくなってきた。麻薬の作用が切れる時間帯にならないと便意をもよおさない。で、今は3日目の朝7時前の切れる時間。座ってりきむが固くなっていてなかなか出てこない。ついに痔の方が切れた。
毎食後飲む緩下剤を貰ったが、麻薬で便意が押さえられてしまうというのはどうしよう。

2010年9月16日木曜日

制御

ペインコントロールの要領がつかめてきた感じがする。
通常の鎮痛剤に加えて麻薬成分の鎮痛剤を追加しているわけだが、足りない分を頓服の効きの早い麻薬入り鎮痛剤で補うことになっている。
でも、これだと、足りない分というのが痛くなって来てから頓服なので、いくら効きが早いといっても暫くは痛みに苦しむ事になる。
そこで、足りないところの時間帯を予測して、ここで整形外科から処方してもらったローションタイプの外用薬を使う事にした。
通常の鎮痛剤は朝食/昼食/夕食後の服用指定だが、これだと8時、12時、18時で、真夜中になると効果が切れてしまう。なので、6時前、12時、7時と時間をずらして飲んで、あとは寝る前にローション、夜中にトイレに起きたら痛くなくてもローションとやってみた。
まだ、2日ほどだがこれで痛くてつらいということがほとんど無くなった。
あ、通常の鎮痛剤をもう1錠出してもらえないかというと、一応これが限度と決まっているんですね。あと、以前のようにローション使い過ぎで肌荒れも無いので都合がいい。麻薬タイプが1日2回で一応24時間効いていることになっている。が、服用時間の直前あたりは多少効きが薄れて来ているようだし、飲んですぐもあまり効いていない。
化学療法の副作用でげんなりするはずなのに、痛みがなんとかなりそうとわかると、気分が前向きになってくる気がするのは、、、あ、麻薬のせいかもね。アハハ。

2010年9月15日水曜日

なう(じゃないって)

てんてき中。

ま、終わってから書いてるんだけどね。
  1. 30分:吐き気止め+過敏症を抑える薬+胃薬
  2. 60分:抗がん剤1
  3. 60分:抗がん剤2
予期される副作用は今のところなし。(ま、入れてすぐだしね)






ビタミン剤を並行で落としながらであるが、点滴がぽたぽた落ちるところを見ていたら、こいつらなにやら訳の分からんお話をしている。後で、かみさんにそれを話したら、「何を話してたの?」「だから分からん言ってるだろ」

コウガンザイマン:さぁ、ぼくたち出動命令だよ。えいりあんをやっつけるぞ。
ビタミンザイマン:ぼくたちが地球人を守るから、思う存分戦ってね。

だったらいいな。

2010年9月14日火曜日

切れる

麻薬の入った鎮痛剤は1日2回、12時間有効ということであるが、その切れ目あたりは少し痛みがきつくなってくる。
が、同時にちょろPも無くなって、少々溜まり気味だったのが順調に排泄される。
麻薬が切れるのがいいこともあるんだなぁ。

明日から化学療法。しんどさはかなり個人差がありそう。同室の東の人はわりとけろっとしてるが、南の人はしんどそう。別の薬を使っている南東の人はずいぶんとつらそうだ。

鎮痛

そんなんで、肩の痛みも整形外科からがん治療の一環へ移行。
整形外科でもらっていた、ゆるく効く鎮痛剤から、標準的なものに。が、最初から限界量。効果のある時間が1日3回のんでいても24時間になってくれず。切れてるときは整形から貰った塗り薬と同じ有効成分の市販の塗り薬でしのいでいた。
が、昨日から麻薬成分の薬を追加。
通常の鎮痛剤を補強していい感じかなと思ったら、久しぶりにちょろちょろPに。これは、もうだいぶ前に電子レンジ的原理によって焼いて小さくしていたのだが、こんなところで復活するとは。薬の注意事項(例によってネット)にもちゃんと要注意と書いてあるし。
なんとなく、ターミナルケアっぽくなってきたなぁ。

2010年9月13日月曜日

ばか

ここらで、自分のバカを告白しておこう。
なんだかんだで、最大の兆候は2年前に肩が痛くなりだしたことだろう。60も近いし、このところ特に肩こりとかなかったし、普段は姿勢もいいほうだし、「50肩だろう」と思った。
50肩を経験した人の話(例によってネット)では、いろいろ治療したけど何をしても直らず、そのくせある日突然直ったというのだ。なので、自然に直るのを期待してアンメルツでごまかしていた。
ごまかすこと1年。なかなか直らんなぁというので、またまたネットで50肩診断みたいのを発見。やってみたら、頸椎とでた。お、これはやばいというので、整形外科へ行った。
ま、ここまでは普通のバカだ。
首の牽引をやって、レーザー治療をやって、そろそろリハビリですというのだが、肩やそこらの動きは悪くないと思うのだが、整体師さんに動かされると痛みが増す。他の人は、よかったと言ってるのに。
そのうち、咳が出だす。ところが、整形で貰ったローションタイプの塗り薬が、「ぜんそくの人は止めるように」と、書いてある。ローションが乾いたときに白い粉状のものが出ていて、これがぜんそくを悪くするかもしれないというのだ。
このへんから、大バカになる。
つまり、ローションの痛み止めが無いと痛くてたまらんが、ぜんそくと言ったら薬が使えなくなると思い込んでしまう。
咳が出てたら医者に見てもらうようにと皆が言ってるのに。とりあえず痰に血が入ったり黄色い膿状ではないし、ぜんそくだと思い込んでいた。
だから、こちらも我慢できなくなって呼吸科を紹介してもらおうと消化器の先生に言ったときも、ぜんそくの薬=吸入薬を出してもらう程度に考えていた。
それが、入院とは。
一病息災というが、血圧、消化器、整形と3病あっても息災でなかったバカの懺悔です。

2010年9月11日土曜日

CT

画面右側が左肺。下が背中。下から覗いている図になってしまうのは、医者から見て右にある体の左が右になるように表示するというルールがあるためらしい。
がんは、かなり大きい。
CT観察下針生検では、採取したサンプルにがん細胞は含まれていませんでした。ということで実はよくあることだそうな。
血液検査の結果などを加味して、非小細胞がんと判断し、カルボプラチン+パクリタキセルの組み合わせで化学療法に入ります。
が、効果が無かったらとか、副作用が強かったらとか、ま、いろいろあるかもしれないね。こうなったらまな板のコイ。信頼してやるっきゃない。どうせ、人間の命は限りがあるんだからね。

2010年9月10日金曜日

無罪

公判の段階から予想されていたとはいえ、判決が無罪であったことは、まずはめでたい。
しかし、軒並み男性どもが検察の作文調書に署名していて、唯一起訴前も公判でも主張が一貫しているのが、女性とは。ま、よくありそうな話ではある。
本当に、村木さんは公務員の鏡だ。
それに比べると、自分の作った作文のうまさ(?)に酔い痴れて本質を見ようとしない官僚というのは検察庁だけにいるというわけでもなさそうだ。

えいりあん2

じゃ、映画のエイリアンみたいに、人間の体内から皮膚を突き破って出てくるにはどうしたらいいか、考えてみた。
基本的に人間には抗原抗体反応があるので、へたなところに潜んでいるわけにはいかない。チビの間に白血球に囲まれてあえなく死んでしまう。
人間にも寄生虫てのがあるから、とりあえずは消化管に潜むのが得策。食べ物は全部異物だからこれにいちいち反応してたら、あ、アトピーか。
かなり大きくなるまで体内で成長しなければならないが、子宮をお借りするというわけにもいかない。それだと、皮膚を突き破るんじゃなくて分娩だ。
やっぱり、大きな場所といえば腹腔だから、ここの小腸・大腸を押し分けて成長して行く。
だと、やっぱり腹が膨れてくるから不自然。
きっとエイリアンの幼虫には人間の体に部分麻酔をかけて腸管を繋ぎ変えるくらいの能力があるに違いない。繋ぎ変えてショートカットにし、いらなくなった部分はエイリアンがおいしくいただく。(ぉぇ)
腹腔を全部占めたら、さなぎになってスプリンング状に体を延ばすための準備をする。
スプリングが弾けるように、一気呵成に胃と食道を突抜けて、宿主の口から頭が飛び出す。両手両足もスプリングで腹腔を突き破り。。。

あ、入院中とはいえ、なんちゅうおそろしい想像をするのだ。(って、そういうのを映画にしたら、みんなぁ喜ぶのはどういうわけ?

2010年9月9日木曜日

景色

5Fの北側の窓からの眺めはなかなかいい。
秘密兵器の双眼鏡をこっそり持ち込んで、町並みとお山の観察。(しかし、久しぶりに出して来た双眼鏡は光軸がずれてるよ。もう、お払い箱やなぁ。)
画面中央に小さくではあるが自分の仕事場の建物が写っている。同僚諸君!頑張って仕事やってるかな?
なんにしても、近くに大きな病院があるってことはありがたいことだ。
大きな病院は全国チェーン(?)なので、先生がよく転勤するみたいだけどね。ひょっとすると婦長さん(看護師長か)も転勤があるのかな?地元の言葉とちょっと違っていた気がする。

2010年9月8日水曜日

DoS

話題は変わって、岡崎市図書館の件
一般常識と技術者の常識がずれてる時に、警察が一般常識基準で動くのはあたりまえだろ。
あとは、検察とか裁判で情状酌量として技術者の常識とやらを振りかざしてみたらいい。
と、いうあたりが分かんないんだろうかね?この頃の技術者(自称?)は。
多分、自分だったら、単純に1秒置きのGETで落ちるんだったら、10分置きとか、Cookieを付けてみるとか、ステルスで取れる方法を探ってみる。だめなら、「おたくのシステム欠陥ですよ」くらいの通報はしてみる。
匿名でいながら失敗を重ねるのは技術者でもSEでもない。
T氏あたりの尻馬に乗って不当逮捕とかネット(だけ)でつぶやいても技術者とは言えない。
ま、自分がたいした技術者だとは全然思わないけどね。

えいりあん

昔、医者に聞いた話をもとに。

がんというのは、その人自身なので、免疫反応が起らない。それどころか、がんができるとソの周りに血管が集まって来て、せっせと栄養を運び出す。いわば本人の「本質」のようなもので、人間の皮をかぶったエイリアンのように細胞が変質というよりは本性を現してくる。

つまり、がんにならない人=地球人とすると、がんになる人=エイリアンなのだ!

んなわけないけどね。

その医者だけど、最近くも膜下出血で早死してしまった。地球人だった。(違うだろ

2010年9月7日火曜日

和解

「ごめんなさい」というメールをいただいた。
シヌシヌと言うといいこともある。
その時は相手のストレスとかも理解できたし、同情したけど、こちらから何を言っても通じないかと思ってそっとしておくことにしてた。
あちらは、まだまだ現役活躍中。自分が引退モードに入ってしまうのは恥ずかしいかも。
ま、何にしても理解し合えるとわかったことはいいことだ。

諦観

昔の友人からはげましのメールをもらう中で、「心の平安を」という人がいた。
闘病生活で諦観を持つようになったそうな。

ま、だいたいその線でいけてるような気はしている。
膠原病で長く苦しんで早死にした友人とか、中国の山で雪崩に巻き込まれた先輩とか、川で溺れた留学生とか、つい最近もがんで亡くなった同年代の身近で働いていた女性とか、いい人が早くに亡くなっていた。
ま、いい人だからではなく、つきあう範囲がみんないい人なだけだと思うけど。

死はいつどんなふうにやってくるかわからないから。いつ死ぬ事になってもあわてないこと。
なんちゃって、しぶとく生き抜いちゃうかもしれないかもよ。

2010年9月6日月曜日

てんてき

とりあえずは検査の時に必要だったりするが、化学療法はこれのオンパレードの予定。

64

一連の検査の中にあった、頭部MRI。
検査中はブーッ、ブーッと大きな音がする。それも、検査位置というか角度というかフェーズというかによって、違った調子で連続する。
あるフェーズで、なんとなく数を数えてみた。
1, 2, ... 60, 61, 62, 63, 64
ん?64で止まって次のフェーズへ移った。
64 という数になんとなく納得した。

When I get older losing my hair
...
Will you still love me when I'm sixty four

さて、sixty four を迎える事ができるのやらどうやら。

2010年9月5日日曜日

死ぬ死ぬ

冗談でというか、大げさな表現で疲れた時とか暑い時とかに「死ぬ、死ぬ」と言ったりする。
でも、冗談でなくなっちゃったので、あまり考えずにカミングアウトしちゃうと、おせっかいをやいてくれる人がいるってことに注意しないと。
っていうか、やや遅い感が。
言葉だけとか、あの本を読むといいよとか、適当に対応できるけど、サプリメントプレゼントなんかされちゃうと、ちょっとヤバいというか。
とりあえず、その第1号は見たところ無害そうだけど。一応、主治医と相談しないとね。

外泊

家に次男家族が来ている。2ヶ月の赤ちゃんと一緒。
赤ん坊は抱けない。重い。

2010年9月3日金曜日

再検査

正確には検査追加
内視鏡で採った組織が、HE染色で形態を見ると小細胞の特徴であるのに対し、免疫染色(シナプトフィジン、クロムグラニン)では小細胞を示唆しない、と、出たそうで、病理部からは「小細胞であることを排除できない」とコメント付き。なんだそうで、呼吸器科のカンファレンスの結果CTガイド下針生検を勧めてきた。
自分は諦観を持つとは言っても、治療する人がベストをつくしていると納得して治療してもらうというのもいいかもと思い、検査追加に同意。
で、化学療法の開始は1週間ほど遅れる見込み。
んー。また一時退院するかなぁ?ここでのんびりするかなぁ?

2010年9月1日水曜日

再入院

ひととおり説明
Stage:IV
抗がん剤は
  1. 効き目が少しよいが、時間がかかる
  2. わりと点滴中の負担は少ない
どっちにしようか。1にしようと思ったりもしたけど、薬剤師さんの説明を聞いて 2に傾斜。治療後の生存年数(?)には差がないとか。

2010年8月31日火曜日

ゆび

ばち指と呼ぶそうな。
「ばち」は太鼓を叩くばち。
「太鼓バチ指」とも呼ぶ。drum stick finger てのかな?日本語なら「ばち」でただの stick ではなく drum stick だからな。ま、この形で思い浮かべるのは和太鼓や大太鼓のばちではなく、小太鼓のばちだな。
最初は皮膚科の病気かと思って聞いてみたが、見た事も聞いた事もなさそうな雰囲気だった。「内科的なものではないかと思いますよ」
消化器科の先生はあれこれ薬の副作用を探して頭をひねっていた。
咳が出るので呼吸器で喘息の薬でも貰おうと思ったら、肺に影が〜〜。
家に帰って、肺疾患をあれこれ勉強してみたら、出ていた。これって、「ばち指」というのか。肺疾患の他に心疾患でも出る事があるみたい。肺疾患でも出るのと出ないのとあるみたい。肺だなんて、思いもつかねぇよ。

2010年8月30日月曜日

聞いとけとメモを渡された

  • 組織
  • Stage
  • 抗がん剤の名前
  • 緩和ケアをやってますか?やってなかったらどこの病院でやってますか?
こうやって並べてみると、最後のはなかなかキツイ。

でかい

どうだい、フルサイズだぜ!
http://weather.is.kochi-u.ac.jp/QL/00LatestX.jpg
ハワイもフィジーも見えるぜ!って、NASAの画像だけどな。

2010年8月29日日曜日

ふたつめ

「義を見てせざるは勇無きなり」
祖父が母に言ってた言葉、子どもの頃よく聞かされた。
この頃そのつもりで頑張って来た。
けど、ボランティアでやってることに好きなようにケチをつけられ、
まともな仲間は皆、去っていった。
残った自分もドクターストップだ。
病気のせいでもあるが弱気になっている。
もういいから好きなようにしてもらおう。

はじめ

「んゅっす」なる言葉がランダム生成の中から出て来たので採用。